わたしはグループホームという種類の施設で働いている
グループホームとは~比較的介護度が軽い高齢者が小人数で支援を受けながら一般住宅で生活する
地域社会に溶け込む生活が理想とされ、「集団生活型介護」とも称する
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時々思う
もしわたしが高齢者になったら、自分で生活したいか、それとも若人にあれやこれやと世話され管理されたいか・・・と
絶対自力で生活したい
自分でおばあに言ってて心の中で思う
「どうしました?トイレですか?」
うるせえトイレくらい一人で行かせろ、と
あちこち落ち着きがなくうろうろするおばあに
「〇〇さんどうしました?座っとかん?」
うるせえうろうろしたいからしてるだけだよ
お茶を飲まないおばあに
「お茶飲んで~~~~~~~~~」
うるせえ飲みたいときに飲むんだ
軽度から中度の認知症のあるかたばかりなので
こうわたしみたいには思ってるかどうかはわからないが
こんないちいちアクション起こすたびに付いてこられ、質問され、じっとさせられ、トイレにも入ってこられ
えええええええい!!!!(怒
とわたしはなりそうなのだ
わたしは躊躇しつつも、職員としては万が一ふらついたり、こけたり、いなくなったり、何があるかわからないのでしょうがなく言っている
あなたは管理されたいか?
わたしは断固として将来施設の世話になりたくない
管理されるくらいなら、山で一人徘徊して野垂れ死にたいくらいだ
わたしには信じられないが世の中には管理されたい、って人もいるのだ
よっぽど寂しがりやの人か、かまってほしい人、めんどくさがりやの人か
現に今の施設でも「ええよ、ここは、何でもやってもらえる。お風呂はいって、ぼーっとして好きな事しとけばいいんやから」という方も何人かおられる
わたしからすれば、余計認知症進むのでは・・・と思ってしまう・・・
人がいつも足りてない施設ではまともにレクリエーションや、いつでもやりたい事ができる環境が整えられているわけではない場所も多いと思う=やる事もない。いつもテレビを見ているような見てないような、ぼーーっとした時間
自分で好きに生活することで、生きているという実感が得られるのではないか
そして安易に施設に入ってしまうとモンスター職員のいるブラック施設に当たり地獄のような生活が始まるかもしれない
想像してみてほしい
あなたは認知症、頭が働かない、何をすればいいかわからない
そんな中気の利かない焦っている職員等に雑にいきなり服を脱がせられたり、立たされたり移動させられたり
ひどいときには怒られる
家族もしょっちゅう来るわけにはいかない、施設の中に入らないと外から何が行われてるかは確認できない
ブラック職員に殺されるかもわからない
それなら山で好きに徘徊し、野たれ死ぬことを選ぶ
出来るだけ自分でできることをやっていけるよう自分を鍛え、やむを得ず入らないといけない状態をなんとか回避したいものだ
死ぬはずだった高齢者たち
心臓や脳の病気が死亡原因の多くを占める日本、医療が発達していなかった大昔には死んでいたはずの人間は目覚ましい医療の発達により長く生きれるようになった
それによって、生きたくもないのに生きてる(しまっている)高齢者も増えたんじゃないかと思う
そんなことあるか!とか本人もとより、家族から反発を受けると思う
しかし聞いてほしい
病気により口から食べれなくなった場合、管を通して胃や鼻から栄養を取る方法がある
昔なら、とっくに死んでいた
現代なら、口から食べ物を取らなくなっても生きていけるのだ
生きたいと意思表示をしていたなら良いものの、意思表示をしないまま認知症になっていたり、判断できなかったら、家族が本人の生き方の選択をしなければならない
このまま生きるか、自然に任せるか
わたしは手術はしない、自然に任せろと家族に言っている
自然に弱って死ぬのがいい
人間の尊厳という点で見ると、生きることを迷わず選択するのは万人にとって良い、と思われている
しかし本来の生きるってそういう事だろうか?
施設などで、うまいかまずいかもわからないものを口や胃などから入れられ、無限にある時間ずっと拘束されている状態
認知症があるかたなどは、鼻や胃あたりにつながっている管を引き抜いてしまうことが多く、ミトンを手にはめ、管を触らないようにされている
人員が足りないと、軽く拘束状態にもなる
家族は本人が生きてるだけでいいと思えるかもしれないが、本人はどうなんだろう・・・
と老人施設を見たりしてると思う
だから若いうちから周りに宣言しておくことをお勧めする
意思がないのとあるのとでは本当に大きく意味が違う
病気や認知症になる前に両親ともよく話し合っておく
自発的な行動は後々の自分たちを守るのだ
以上
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